Woman’s おすすめポイント
“女性”以前に、”アボリジニ”であることで生きづらい世の中が舞台で、”アボリジニ”初の”女性”ボーカルグループの生い立ちという困難な状況下の女性たちを描いた作品です。にも拘らず、彼女たちはとても輝いていました。どんな困難な状況であっても、決して諦めることをしていません。メンバーのうちの1人は結婚して小さな子供もいます。あるメンバーは失恋中で失意の中です。あるメンバーは、年下の子たちを守らなくてはという年長者の責任が邪魔して本来の姿を出せずにいます。そしてあるメンバーは、”白く”生まれたというだけで、白人として育てられ、持っているアボリジニのアイデンティティを奪われつつあります。それでも輝ける彼女たちから、学ぶことがないわけがありません。
アボリジニの歴史と特徴①土地に対する強い思い
故郷の土地で お前の身を清めよう ここへ戻った お前は 故郷の土地と 再び1つになった
もう お前の魂は 誰にも 二度と奪えない ここが お前の居場所 ここが お前の帰る場所
魂は この土地に あり続ける おかえり 私の娘
ケイにおばあちゃんがお清めの儀式をしているラストシーン
“盗まれた世代”と呼ばれたケイが村に戻った際に、祖母が行った儀式での祖母のセリフです。アボリジニの人々は、土地との結びつきを最も大事にしていたようで、その思いがこのセリフに宿っています。故郷に戻ってきたことで、身が清められ、土地と人が一つになることができるという考え方は、多様な種族を持つというアボリジニの人々たちを結びつけ、ひいては地球上全ての人々を結びつける考え方のように思えます。土地に居ることを大切にすることはそういうことです。”この土地に居れば家族”、この考え方は、きっと多くの人の心を救ったに違いありません。(参照:https://www.australia.com/ja-jp/things-to-do/aboriginal-australia/culture.html)
アボリジニの歴史と特徴②差別と人権
彼らは、今よりももっと大陸間での移動がしやすかった時代、つまりそれはそれは大昔に、オーストラリアという土地に住み始めたという話ですが、その後に移り住んだ者たちから、不当な扱いを受けることがたびたびあったようでした。人権を認められたのも近年ですから、その間とてもつらい思いをしたことでしょう。この映画は、そんな渦中で繰り広げられる夢を追い求める物語なのですから、どれほど大変だったか計り知れません。
ベトナムで戦う米軍が出てきますが、そこで白人が死にそうなところを、ケイの恋人である黒人のロビーが手当しようとすると、その死にそうな白人に「黒い手で触るな」と言われてしまいます。肌の色が黒いというだけ、ただそれだけで仲間だと思っていた人から思わぬ言葉を叩きつけられることがある時代です。ある意味、アボリジニの人達の方が先進的な文化を持っているのかもしれません。前章で紹介したように”土地”を大切にする彼らは、その土地に足を踏み入れた瞬間にWELCOMEという気持ちを持って接するという文化です。肌の色も、話す言葉も関係ないのです。(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8B)
女性だから?結婚してるから?子持ちだから?
この映画の主人公たちには、時代や歴史的側面の他にも、夢の実現に向けて現代女性たちが障害としがちな問題を抱えていました。ジュリーは既婚でかつ小さな子供を持つ若い母親です。ジュリーの母親は、そういうジュリーが歌の道へ進もうとするのを反対していました。後に彼女らのプロデューサーとなるデイブと出会うことになるオーディションも、若すぎるという理由で反対されています。若さももちろんあるでしょうが、「自分の立場をわきまえなさい」とか、俗に言われる理由も多少はあったのではないでしょうか。
『既婚者となったら自分の夢を追うより旦那を支えなければならない』『母親となったら片時も幼子と離れてはいけないし、母親業しかしてはいけない』そんな声が聞こえてきそうなシチュエーションでした。同様に夢を追う兄弟たちも一緒です。失恋中のシンシアには『男でくよくよしているような子が夢なんて叶えられるの?』『夢ばかり言っていないでさっさと結婚しなさい』、年長者のゲイルには『その年でまだ夢とか言っているの?』『年長者なんだから、地に足つけて、年下の子たちに良い見本にならなきゃだめでしょ』つまりは、誰にでも夢を叶えない理由はいくらでもあるのです。それらの理由をはねのけて、自分たちが進みたい、やりたい、と思ったことを夢中でこなしていたからこそ、彼女たちは輝いて見えていたのでしょう。
人種というボーダー(境目)に対しボーダレスなソウルミュージック
3姉妹に出会った当初デイブは「黒人がカントリーを合唱するのは奇妙」という理由からソウルミュージック転向を促していますが、デイブはアボリジニである彼女たちの生きてきた軌跡の中にある辛いことや悲しいことが、最高のソウルミュージックを奏でるに違いないことを感じ取っていたように思えます。ソウルミュージック。それは喪失感を感じるも、それを取り戻そうとする強い思いを乗せた音楽のジャンルの名称といいます。それを歌えと言う、それはつまり彼女たちがとてつもなく大きな喪失感を味わっていることをどこかで感じ取っていたからでしょう。彼女たちの歌声は、カントリーミュージックを歌っても綺麗な歌声であったことには変わりはありませんでしたが、ソウルミュージックに乗せたことによって、彼女たちらしさが存分に発揮されていました。よく通る力強い彼女たちの歌声は、悲観的になるだけのカントリーミュージックでは表現しきれなったのだと思わせるのです。
同時に、デイブが彼のソウル(魂)を見せて歌った歌もまたソウルミュージックそのものでした。4人に初めて歌のレッスンを始め、これまで彼女たちが歌ってきたカントリーミュージックはやめて、ソウルミュージックを歌うべきだと言うシーンでの歌で、彼女たちを有名にさせたいという野望を込めて、思いを歌に乗せています。自分の心からの思い、つまり魂を込めて歌う彼の歌には、彼女たちに「これだ!」と思わせる力がありました。あれほどカントリーミュージックにこだわっていた彼女たちの気持ちを動かしたのです。思いの乗った音楽ほど気持ちの伝わるものはありません。『黒人だからソウルミュージックを歌うべき』というデイブの発言は、結局自身の歌声を以って誤りであることを証明しています。自分の魂から出た叫びであれば、ソウルミュージックは人の心を震わせる素晴らしいものになるのです。白人であっても黒人であってもアボリジニであっても誰であっても、誰にでもある生きている間の喪失感、そしてそれを取り戻したいという素直な強い気持ちさえあればいい、そんな境界線の無さを感じるソウルミュージックは、人種という境目を題材にしている【ソウルガールズ】において、対照的な光のように感じられます。
愛が根底にある彼女たちの生き方が魅力的すぎる
『アボリジニだから』『黒人だから』という言い方は悪いことばかりではありません。彼らはいつも強い愛を持っています。家族愛、兄弟愛、種族愛、そしてそれ以外の者に対する愛も持つことができるのです。彼らの文化形成には、厳しすぎた過去も少なからず影響していることでしょう。厳しい環境で生き抜くことができるよう、同じ家族、同じ種族に対する愛が強い文化が形成されたことは容易に想像ができるものです。しかし驚くべきは自分たちと”同じ”でなかったとしても愛が注がれるということです。映画の中でも、白く生まれてきたケイに対して愛情を注ぎましたし、娘たちを引き連れてベトナムに行くというデイブに対しても信頼という愛を注ぎます。ケイの恋人である黒人の米軍兵ロビーも、襲撃され白人の仲間が死にそうなとき、迷うことなく手当をしようとします。戦争でひどいけがを負った兵たちを訪問し歌った時は、黒人も白人もいましたが、彼らのために涙を流しました。彼らは自分たちと姿形が”同じ”であるかどうかでは判断していないのです。目の前にいる人をただ愛すことができる彼らは、とても豊かに映りました。
そして、自分たちの仲間に対しての接し方も魅力的でした。ただ甘やかす、ただ従うだけのような愛ではなく、自分の意見は惜しまず伝える、きちんと相手に向き合い、時に言い合いをする、本気の愛で接する彼女たちはいつも輝いていました。愛が根底にある彼女たちだからこそ、相手に本音でぶつかっていけるのでしょう。3姉妹とケイとの関係、デイブと年長者であるゲイルとの関係。彼女たちの深い愛情があるからこその関係性は、今の世の中の少し希薄になりつつ人間関係にもうちょっと向き合い気持ちにさせてくれることでしょう。
Woman’s おまけポイント
女性の美しさというのは、時代とともにそのアイコンとなる人物が変わるなどして移り変わるものですが、それはあくまで流行のお話。真の美しい女性というのは、時代とともに変わったりはしないのではないでしょうか。ここに登場する女性たちは、自分たちの置かれている状況に屈することなく、前に進もうともがいています。そして常に自信をもっており、人に対する愛情に溢れています。それこそが美しさですよね。「登場する女性で誰がタイプか」というのはあれど、「誰が一番美しいか」これには答えがないどころか、この問いすら本来存在しません。女性の美しさは外見を流行りのスタイルにするだけでなく、普遍の内面美にもあることを教えてくれる映画でもあった気がしています。
kato
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