プロローグ
ジュリア・ロバーツ主演の【食べて、祈って、恋をして】の題名を検索してみて驚きました。題名を打ち込むと『食べて祈って恋をして 名言』や『食べて祈って恋をして 原作』というワードとともに、『食べて祈って恋をして つまらない』が出てくるのです。少し前に観た映画ということで、記憶が定かではなかったのかもしれませんが、私の中で【食べて、祈って、恋をして】は面白かった映画として印象が残っていました。そのために衝撃を受け、もう一度観て確かめるべきだという思いに至り、また鑑賞をしたときの印象と【食べて、祈って、恋をして】を楽しむポイントをまとめてみようというわけです!
『つまらない』は本当なの?
作品名を検索したときに予測されて出てきた『食べて祈って恋をして つまらない』には、初めは確かこの映画面白い印象だったはず・・・と困惑しました。その思いで実際にもう一度鑑賞してみて思ったことが2つ。1つ目は、大人の女性には響く内容かもしれないということ、2つ目は、確かにちょっとだけ馴染めない部分があるかもしれないということです。ジュリア・ロバーツ演じるリズがビリー・クラダップ演じるスティーブンのいつまでも夢を追いかけ定職に就かないところや夢がコロコロと変わる移り気であることなどから、添い遂げることは無理だと離婚を決意しますが、そのきっかけがPray(祈り)であることが、私たちになじみが薄いところなのかもしれません。ジュリア・ロバーツの出演作品がこれまで万人受けするストーリーであったことから飛びついた日本のファンたちにとっては、「いきなりお祈り!?」感は少々否めなかったのかも……。
しかもこの印象が割と映画の早い段階で根付いてしまうというのも『つまらない』に繋がってしまったのでしょうか。”祈り”から入った映画にちょっとだけ馴染めないでいたら、自ずと”食べて”と”恋をして”には当然大きな期待を寄せてしまいます。しかし、その”恋をして”の1部であるリズの離婚後初のカレも、”祈り”要素濃いめだったのが、この後に広がるストーリーに期待した心をくじいてしまったのかもという印象です。ちょっと個性的な彼氏すぎたんですね。でも、”食べて”は残っているし、”恋をして”の要素もまだ残っているから前半で失望しすぎず観て欲しい!イタリア部分では愉快で考えすぎない生き方を学べ、それだけでなくイタリアの景色や音楽色、雰囲気、イタリア語が観光気分に浸りたい人にとっては満足のいく場面です。最後のバリ部分も、暮らしは穏やかでリラックスした理想の暮らしで、人生を深く考えたいタイミングの人にとってはハッとさせられそうな言葉にも出会えます。暮らしを楽しんでいるイタリア人の暮らしの知恵みたいなものを感じられること、バリのバカンス風な気分と心の安らぎ要素の絶妙な融合感が楽しめることはこの映画の長所です。結論は、20代前半のジュリア・ロバーツ作品大好き!なワクワクキラキラな目線を持った日本人には『つまらない』かもしれない、というところでしょうか。イタリア編の前は陽気な感じはなくて面白くなるか心配になる部分も正直ありますが、のちに続くイタリアやバリのシーンは、いい言葉、いい暮らしのインスピレーションを求めた大人には最高の作品でしょう。
“祈り”セクションの乗り切り方
【食べて、祈って、恋をして】の”祈り”セクションは、ストーリー内にたびたび訪れます。おそらく一番衝撃を受けるのが、セクションの中でも一番最初、結婚の危機を乗り越えた主人公がいきなり”祈り”に目覚めるところでしょう。祈ることは日本人にとって馴染みの薄いものに思え、非現実的に思えてしまうことが衝撃を与えてしまう理由ではないでしょうか。しかし、その冒頭のシーンを超えてしまえば、むしろ”祈り”のセクションも楽しめるようになるはずです。リズは離婚と離婚後付き合った若い彼との関係から逃げ出し自分を見つめ直す旅と称して、イタリアからインドそしてバリへと渡り歩きます。その中で”祈り”セクションは主にインド、バリに集約されています。現地の独特な雰囲気が醸し出されるこれらのシーンは、洋画ファンにも浸透しづらいのかもしれません。しかし、この映画の後味の良さに必要なのもこの”祈り”に関わる部分なのです。
雰囲気は、一般的な洋画好きが好むような、洋風な世界観ではないのは確かです。しかし、リズが元旦那に許してもらいたいという気持ちや、元カレをまだ愛したいという気持ちに悩む心と向き合っていく姿は、全く非日常ではないものでした。世界観こそインド感満載だったり、バリの信仰力強めな感じがあったりと俗世とかけ離れたもののような雰囲気もありますが、抱えている悩みやその乗り越え方、人生を前に進めるための方法は、世界共通のものであり、私自身の心も洗われていくような深い言葉にも繋がっています。悩みの乗り越え方、自分が本当に何を求めているのか、何をすべきなのかを知りたいときの方法を、この映画では”祈り”に結び付けているだけで、その気持ちとその方法は普段”祈り”から遠い人間にとってもハッとさせられるものが多くありました。”祈り”の世界観に引っ張られすぎず、彼らの話す言葉の1つ1つに耳を傾けてみてください。心が洗われる不思議な楽しみ方ができる映画です。
イタリアでは、自分を喜ばせる楽しい生き方を学ぶ!
イタリアに到着してすぐにリズが眺めている景色の夜景はこんな感じでしょうか。リズのいる場所から見える橋の特徴、見える景色などから察するに(グーグルマップでめちゃくちゃ調べました)、サンタジェロ城の塔に登っていると思われます。壮大なサンピエトロ大聖堂とヴィットーリオエマヌエーレ2世橋も見渡せるローマの名所のようですね。リズが登っている時間帯もオレンジ色の夕陽がノスタルジックでとても素敵でした。イタリアでのリズは、スウェーデン人のソフィーと出会い、それがきっかけでソフィーの彼や彼の家族や友人たちとも知り合い、ナポリでピザを食べたりみんなでサッカー観戦をしたりレストランでディナーをして楽しんで過ごしているのが観ていて楽しいシーンです。リズが1人で待ち歩きをするシーンでは、大人の女性の気まま旅といった雰囲気が満載で、イタリアに旅したい!と憧れる場面が目白押しです。リズの可愛らしいイタリア1人旅は、道行くイタリア人と同じ行動をして過ごすことから始まります。道の端に流れっぱなしの水道を見つけると、手のひらで蛇口を触るように手をかざして水の向きを上向きに上手に変えて飲んだり、ベンチに座ってジェラートを食べたり。イタリアのいいところは、ありふれたことでも、全てが楽しく思えてしまうところですね。
それも、イタリア人たちの楽しい人生に懸ける思いのせいでしょうか。街並み、音楽、楽しそうな人、活気あふれる市場、素晴らしい食事・・・。イタリア人がイタリア人を語った言葉そのもののように、とても楽しんで毎日を過ごしているのが分かります。イタリア人は”ゆっくりやろう”という広告を見ても分かってるよだから休憩をしてると言った具合に当然のように快楽を楽しむのに、アメリカ人は広告を見てハッとして一気に酒を飲みすぎるなどして次の日を無駄にするといった趣旨台詞があるように、確かにイタリア人はなんでもない日常を、楽しい日に変えるのが得意なようです。
“何もしないことの歓び” それがイタリア人
【食べて、祈って、恋をして】理髪店での言葉(字幕版日本語訳より)
日常を楽しむイタリア人にとって、食事は最高の快楽なのでしょう。他の国から見てもイタリアは食が楽しいイメージがありますよね。イタリアに発つ前にリズが世界を旅したい理由として、以前持っていた食欲や生きる意欲が消えたからと語っています。きっとリズは、イタリアで食べる楽しみ、生きる楽しみ、つまり自分を喜ばせる感覚をもう一度味わいたかった、それらを学びたかったのでしょう。イタリアでリズが食べているフードはどれも印象的です。エビのフリッターのようなジューシーな一品、パスタ、ピザ、そして自分で自分のために用意する卵やインゲンなどのワンプレート、感謝祭ディナーの七面鳥。リズの感覚が求めていた”生きている実感=おいしいものを心から味わうこと”を、心から実感できる場面です。
インドでは、祈ることで自分の心と向き合う時間の必要性を学ぶ!
インドのアシュラムでの修行は、周りの人々と自分との信仰心の差に戸惑いを隠せていませんでした。修行である瞑想も1分ともたない彼女は、インドに来たら救われると信じていたためにうまく行かずイラつきます。そんなとき、同じようにインドに救いを求めてやってきたリチャードと出会い、彼からいろいろなことを学びます。救われるには愛が必要なこと、祈る人達にとって崇め奉る対象である存在”グル”でなくても、愛せる対象を探すことで敬虔な気持ちを得られること、目の前のことを淡々とこなし続けること。彼の言葉には印象的なものがいくつもありますが、これはその1つです。
彼や夫への執着を心から追い出せば 大きな空きが出来て そこに入り口を見出せる
宇宙が その入り口を見たら 神が君の中に踊り入り 君は人知を超えた愛で満たされるだろう
【食べて、祈って、恋をして】インドでのリチャードの言葉(字幕版日本語訳より)
リチャードの言葉は、単に”祈り”専門というわけではない気がします。現代を生きる私たちが自分らしく生きるために必要なノウハウであることに気がつくことでしょう。瞑想や祈りと聞くと、とっさに拒否反応が出てしまう人でも、自分のことに落とし込んで身近なものとして耳を傾けてみると、自分の感じていることや大切にしている考え方を知り自分の理解者になることで余裕をもって人を愛せること、そして無駄なことを考えず目の前のことに夢中になることで結果的に解決やチャンス到来の早道になることなど、自分と向き合い、自分を持つことの大切さを知ることができます。
バリでは、自分自身と外界とのバランス感覚、”愛”を学ぶ!
バリ島は、結婚に疑問を抱き始めていたリズが最初に助言を求め、そして新たな恋に出会い、やっと自分を探す旅の終着地点に到着する場所です。物語の始まりの場所でもあり、終わりの場所でもあるなんて意味が深いですよね。リズが求めていたことはズバリ”生(生きること)”です。1年海外を渡り歩くと決めたことを友人に話す場面で、生きる意欲や熱意が湧いてこない”無”を感じたことが、生きながらにして死んでしまったみたいに感じたことを強く語っています。心から生きることを楽しんだり、心から自分でいることを楽しんだり、そんなことが自分にはできていない、とそうリズは思ったのでしょう。友人に支えられる自分、旦那色に染まる自分、彼氏色に染まる自分。全ては自分のすぐ近くにある何かに依存して生かされているだけで、自分の意志でやりたいことをやり、自分の足でしっかりと立つような、確固たる自分自身を求めていたのだと思います。バリでの場面は、そういう”心””自分探し”といった内面を磨きたい人にはとても理想的な場面でした。バリ島はバカンスでも有名ですが、その雰囲気を楽しむと同時に、そういった心のメンテナンスもできるシーンなのです。
バリ来る前、インドにグル(信仰心の対象となる師)に会い教えを乞いたくて訪れています。そこで得た瞑想で心のバランス(調和)を保てるようになったリズが、その調和によって大切な人との間のバランスが保てなくなるシーンがあります。そんなリズにバリの薬療師であるクトゥが贈った言葉がとても素敵です。
愛のために調和を失うことは 調和のある生き方の一部なんだよ
【食べて、祈って、恋をして】クトゥの言葉(字幕版日本語訳より)
ある意味自分が持っている『理想』通りに生きられている人は1人ぼっちなのかもしれません。瞑想をすることや師に会う時間を持つことで、自分らしさを貫けると信じ始めたリズは、ハビエル・バルデム演じる新たな恋人フェリペと一緒に人生を歩むことに足踏みしてしまいます。瞑想の時間、師との時間あってこそ、彼とうまくいっていると信じていたのでしょう。けれど師として慕っていたクトゥが言った言葉は全然真逆のものだったのです。人間、自分の思い通りの人生など歩めなくて当然なんですね。人を愛するのが人間ですから。そして愛しているから、自分の思い通りでないことでもやりたくなる。やってあげたくなる。そして何よりそれが人生を楽しむ秘訣であるのですから。『外の世界と内なる魂を求めて旅に出て、結局最後は自分と向き合い、自分が無理だと思える部分に心を許した途端に答えが分かる』とリズが締めくくっています。それもまた神秘的なような物事の道理なような素晴らしい締めくくりなのです。
エピローグ
【食べて、祈って、恋をして】を楽しむには、”祈り”セクションをいかに乗り越えられるかにかかっているかもしれません。この映画をよく観れば観るほどに、その”祈り”セクションで語られていることの意味深さや、”祈り”文化がなくても”それ”自体は身近にあることに気づけて、より楽しむポイントになることは間違いありません。個人的には、自己啓発が好きな方にもおすすめできます。自己啓発にハマったことがある人は経験する方もいるのではないかと思いますが、ハマると自己啓発本のノウハウにこだわりすぎて逆に現実がもっとうまく行かなくなり、その自己啓発の世界と現実世界との融合がなされる過程を踏むことになります。まさにリズはインドで得た自分の時間を持つノウハウを変えたくない気持ちから、バリでの恋が一瞬破綻しかけています。この映画はあらゆる人へ原点を教えてくれる、深―――い映画でもあるんですね。けれど、単純にイタリアの食文化や街全体の陽気な雰囲気やインドの精神的な雰囲気、バリの神秘的でリラックス感のある雰囲気を楽しめる映画です。1回目は“祈り”セクションで目を瞑り、2回目はちょっと中身について考えながら・・・と2回観ること、オススメします!
kato
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